
しかしその先生が、二学期の教室には姿を現わさなかった。
なにやら病気であるという。
母と二人で厚木の県立病院へ見舞いに出かけたとき
病室のドアにかけられた「面会謝絶」の木フダは、やけに重厚に私たちの前に立ちはだかった。
手に持つスイカが汗ですべりそうになった。
それでもどうにかと看護婦さんに面会の許可を乞う我が子に
母はそれまでの内気な子どもに大きな変化を感じたそうだ。
薄暗い病室で先生はピンクのリボンを編んでスピッツの人形を作っていた。
別人のように痩せていたしレモンの匂いは見つけようも無かった。
それでも先生は快活に
と笑顔で言った。
それが私と内山先生の最後の会話となった。
先生の死を告げられた教室で、人の死というものを始めて身近に感じた時、
悲しいというよりも何か心臓がドキドキとして、
その日は走って家まで帰り、畑で仕事をする両親のそばにいた。
内山先生はバレーボールの選手として大学でも活躍され
地元の中学校の後輩の指導にも熱心であったそうだ。
学生時代、詰襟の制服をビシッと着込んで駅に立つ若き恩師の姿は
男女を問わず憧れのまとだったそうだ。
先生の死後、故人を偲んで内山杯というバレーボールの大会が
市内で開催されていると人づてに聞いた。
まるで爽やかな春風のような、ほんの短いひとときのできごとであったが
最近になってなぜか今は、亡き恩師のことを思い出すことがある。
私に似て内気な我が子が、この春にはもう高校生になった。
この子にもどうかすばらしい出会いをと祈る今日この頃である。
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